ケータイ辞書JLogosロゴ 滝尻(中世)


福島県>いわき市

 鎌倉期から見える地名。菊田荘のうち。正中2年2月1日の元植田薬師堂銅造阿弥陀像銘に「奥州菊田庄滝尻宿」と見えるのが初見で,檀那として光円・大工又太郎・紀左一氏女・紀左一六郎など9人の名が見える(県史7)。建武4年正月16日の伊賀盛光代麻続盛清軍忠状には「為石河草里四郎次郎日大将,押寄小山駿河守館菊田庄滝尻,於大手,致散々合戦」とあり,南朝方の小山駿河守の滝尻館を北朝方の麻続盛清が攻めている(飯野文書/県史7)。また文和2年5月日の石河兼光軍忠状には「至于東海道滝尻令供奉」と見えており,観応2年南朝方によって国府多賀城を追われた北朝方の吉良貞家は12月頃に滝尻に入っている(遠藤白川文書/県史7)。この頃にはすでに滝尻館は北朝方の支配下にあったのである。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268579
最終更新日:2009-03-01




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