ケータイ辞書JLogosロゴ 伊達崎村(近世)


福島県>桑折町

 江戸期〜明治22年の村名。伊達郡のうち。はじめ会津領,慶長6年出羽米沢領,寛文4年幕府領,延宝7年福島藩領,天和2年幕府領,安永5年仙台藩預り地,寛政元年からは幕府領。延宝6年中瀬村を分村(伊達東小沿革誌)。向川原村を分村したのはこれより早く万治年間頃と思われる(二郡村誌)。村高は,文禄3年の蒲生高目録では2,604石余,「天保郷帳」2,606石余,「旧高旧領」では2,602石余。なお文化5年の古高新高帳によれば,寛永15年と推定される上杉氏の検地では3,394石余,寛文・延宝期の幕府領検地では2,766石余。寛延3年3月,前年の百姓一揆の主導者で当村の蓬田半左衛門,長倉村の斎彦内,鎌田村の猪狩源七の3名が産ケ沢で処刑された(桑折町誌)。安永元年には蚕種本場の称号を許され(桑折代官布施孫市郎書付),文政8年には蚕種冥加金として永804文1分を幕府に上納している(御用留書)。文久元年の「蚕種銘鑑」では蚕種製造家11名がいた。村内に寛永年間に宥長が創立したと伝えられる真言宗満蔵寺があり,江戸中期に如来堂で改良蚕種「中如来」が生産された(福島市史2)。旧福島県を経て明治9年福島県に所属。同年の戸数246・人口1,337,馬59(二郡村誌)。明治20年の戸数232・人口1,517。明治12年伊達郡に属し,同22年伊達崎村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268746
最終更新日:2009-03-01




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