ケータイ辞書JLogosロゴ 鶴生村(近世)


福島県>西郷村

 江戸期〜明治22年の村名。白河郡のうち。はじめ会津領,寛永4年白河藩領,慶応3年からは幕府領。村高は,文禄3年の蒲生高目録では462石余,古領高長では938石余。御用留帳では,村高938石余で,うち田537石余・畑400石余。「元禄郷帳」には靏生と見え,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに村高939石余。助郷は奥州街道白坂宿へ出役。課役は重く,元治元年11・12月の人夫79,馬45。延享2年には当村の新五兵衛が会津廻米問屋としての許可を得た。化政期の家数49軒。文化13年甲子山に禁制のとりもち売買事件が起こり,庄屋は名字・帯刀・屋敷取上げ,御役召放し,三役は追込・戸閉めなどの重罰を受けた。山役の村で,農間余業は杣樵・炭焼・葭萱刈・山芋掘・漆実採・萩柴刈などの山稼ぎ。慶応3年の家数41軒,馬数137。鎮守は諏訪神社。寺院は真言宗岩山持宝院東福寺。庄屋は享保16年柏野の和知家より入った和知伝左エ門家が世襲。明治6年米村ほか13か村産馬組合が結成され,地内の段の原に100余頭を放牧した。旧福島県を経て明治9年福島県に所属。同20年の戸数48・人口300。明治12年西白河郡に属し,同22年西郷村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268838
最終更新日:2009-03-01




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