ケータイ辞書JLogosロゴ 常葉村(近世)


福島県>常葉町

 江戸期〜明治22年の村名。常葉町村ともいった。田村郡のうち。はじめ会津領,寛永20年白河藩預り地,正保2年からは三春藩領。村高は,文禄3年の蒲生高目録では6,924石余が記されているが,これは当村を中心とする常葉13郷(常葉・新田作【につたさく】・久保・西向【にしむき】・鹿山【かやま】・山根・関本・小檜山【こびやま】・早稲川【わせがわ】・堀田・今泉・岩井沢・古道の各村)の村高の総計と思われる。寛永20年本田1,068石余,ほかに小檜山分入作139石余・新田15石余(常葉町史)。万治2年の村高之覚では1,068石余,ほかに「小檜山村但常葉町分」として139石余,享保4年の高帳では本田1,068石余,新田・新開79石余,栗原新田114石余,ほかに「小檜山常葉分」として本田139石余,新田・新開44石余が見える。「天保郷帳」1,263石余,「旧高旧領」1,407石余。元禄2年から二人庄屋制をとった。享保4年の人数961(三陽骨要集)。常葉は近郷近在の商品集散の地であり,毎月7・17・27日の三斎市や春秋2回の馬市も開かれにぎわった。文政3年の市御役銭上納之覚には定見世(商店)9軒があり,そのほか小商人がいた(常葉町史)。延享3年の村況は竈193軒・人数769,馬193,天保9年には竈141軒・人数662,馬333(県史10上)。磐前【いわさき】県を経て明治9年福島県に所属。明治6年常葉戸長河野広中は副戸長安瀬敬蔵(旧堀田村庄屋)らとともに自由民権思想を鼓吹し,常葉区に民会(代議政治)を興し,条例規約を定め区民の公議による行政の運営に当たった。後年,安瀬は会津喜多方戸長となり,同11年「愛身社」を結成し会津地方に自由民権運動の基盤をつくった。また,河野の影響のもとに,常葉区から多くの民権運動家が輩出した。明治20年の戸数208・人口1,211。明治12年田村郡に属し,同22年常葉村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268921
最終更新日:2009-03-01




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