戸ノ口村(近世)
江戸期〜明治8年の村名外口とも書いた会津地方東部,猪苗代湖から流出する日橋川河口に位置する耶麻【やま】郡のうち,古くは更級荘に属したという会津藩領川西組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では猪苗代郡に属し外口とあり124石余,文化15年の村日記(県史10下)では513石余,「天保郷帳」259石余,「旧高旧領」267石余なお慶長2年の倉入高物成では物成38石余が課されている化政期の家数23軒(新編会津)村の南部に名倉山がある湖上の翁島には翁島伝説の翁神社がまつられている二本松裏街道が通り,若松城下への侵入を妨ぐ関門となった16橋は猪苗代湖唯一の水門であり,この架設には空海の伝説もある湖上は江戸廻米の船運送の重要地点で陸路とともに重視された戊辰戦争で会津藩は16橋に続く戸ノ口原で苦闘した慶応4年の産物は雨鱒(猪苗代郷土誌稿)肝煎は五十嵐家鎮守は貴船神社猪苗代三十三観音第30番札所観音堂もある明治元年10月村役人排斥の一揆で休役となった旧肝煎は,12月に帰役願を民政役所へ提出した(小林家文書)明治8年蟹沢村ほか2か村と合併して翁沢村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7268977
最終更新日:2009-03-01