ケータイ辞書JLogosロゴ 長倉之郷(中世)


福島県>伊達町

 戦国期から見える郷名。伊達【だて】郡西根のうち。永正16年3月24日の萱場鶴増宛て伊達稙宗安堵状案(伊達家文書/県史7)に「長倉方より買地,伊達西根長倉之郷之内,弦巻田五段,年貢一貫八百文,北の後二段,年貢一貫文,索麺田六百地」とあり,天文3年4月29日の菱沼藤十郎宛ての伊達稙宗安堵状案(同前)も長倉方よりの当郷のうち前川原・河原田・天神の前・稲荷の後・大工屋敷・馬場の深田などの買地に対する承認である。「采地下賜録」では瀬上・長倉・中野・萱場などの諸士が晴宗から当地内の知行を与えられており,からめき田・因幡屋敷・天神畠・せき下・たうか屋敷・松の木内・清水の上・まいた・こしまき田・かきうち・いはら町・田中屋敷・江向・うるしほう・壇の前・よもきたなどの地名が見える。「余目氏旧記」に「応永七年に,新田の岩松殿大将にて御下,伊達西根長蔵要害せめそんし,大打せられたれは,かまといふものニて七日くひをつく,其後中一年過,上杉殿大将にて応永九年ニ廿八万騎ニて被下,伊達一そくなかくら入道本人たり,存旨アリテ要害ヲ引,西根長倉,あかたてヲ築,かの所へ廿八万き押よせ」とあり,長倉入道は伊達一族とされている。天文段銭古帳には「一,仁十四〆五百四十五文 なかくら」とある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269083
最終更新日:2009-03-01




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