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- 中在家村(近世)とは
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中在家村(近世) 江戸期~明治19年の村名摂津国西成【にしなり】郡のうち幕府領当村は古く平安期に住吉浦の海浜を開発したことに由来し粉浜村と称していたが,享徳2年の火災により移転,今在家村・中祭家村の2村に分かれたが明応3年中祭家村は中在家村と改称したというまた「西成郡史」によれば,慶長14年住吉郡から西成郡に編入されたという村高は摂津高改帳によれば元和2年頃は東成【ひがしなり】郡のうちに見え今在家村を合わせた高506石余のうち,摂津草高帳では318石余,延宝5年検地では402石余(西成郡史),「天保郷帳」「旧高旧領」ともに402石余真言宗西大寺末西願寺,浄土真宗本派順照寺,同宗仏光寺派霊松寺がある明治2年大阪府に所属同9年の人口608(全志3)明治19年粉浜村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」