ケータイ辞書JLogosロゴ 中田付村(近世)


福島県>喜多方市

江戸期〜明治8年の村名会津地方北部,田付川東岸に位置する耶麻【やま】郡のうち会津藩領小田付組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では田付とあり728石余,文化15年の村日記(県史10下)では400石余,「天保郷帳」401石余,「旧高旧領」430石余端村に三屋【みつや】がある「新編会津」によれば,もとは大沢村と1村を成していたが正保2年に分村したという村名は北に入田付村,南に小田付村があり,その中間に位置することによる(新編会津)「会津雑考」天正13年の条に当村で伊達勢と蘆名勢が戦ったことが記されている天正年間には内町・外町があって,月12度の定期市が立ち繁栄したが,天正10年外町の月6度の市を小田付村と小荒井村に分け,内町の市だけとなったさらに江戸初期には7月14日・12月29日の年2度の市だけが残り,それも廃されたという(新編会津)寛文5年の村高378石余,家数26軒・竈30,人数は男78・女70(小田付組土地帳/会津風土記風俗帳1)化政期の家数は本村27軒・三屋【みつや】4軒(同前)神社は熊野宮・麓山神社,三屋には山神社がある寺院は浄土宗大沢山竜泉寺竜泉寺の北にひろがる竜泉寺林は天正13年伊達政宗の軍勢が侵入したときの戦場で,その時討たれた屍を埋めたという古塚の十六塚がある(同前)明治8年上岩崎村ほか2か村と合併して宮津村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269143
最終更新日:2009-03-01




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