ケータイ辞書JLogosロゴ 長沼(中世)


福島県>長沼町

 戦国期から見える地名。岩瀬郡のうち。文明16年9月8日蘆名盛高は岩瀬郡に侵入,二階堂盛義と激突したが(塔寺長帳),これは当地をめぐる戦闘とみられ,天文元年11月には蘆名盛舜が長沼に出馬している(異本長帳)。永禄8年蘆名盛氏が当地を攻撃(異本長帳・会津雑考)。永禄9年正月二階堂盛義は蘆名盛氏に屈服して会津に参向している(塔寺長帳)。異本長帳の同年8月13日条に「長沼新国上総介(貞通)置ク」と見え,この時から蘆名氏の支配下におかれることになった。以後,当地は蘆名氏の会津防衛および仙道攻略の基地となる。元亀2年あるいは天正2年と推定される7月10日の佐竹義重書状に「仍盛氏去七日永沼へ出馬之由」と見え,蘆名盛氏が当地に出馬したので義重も白川郡寺山へ在陣すると記されている(秋田藩家蔵文書/県史7)。また,天正4年8月21日の蘆名盛氏書状に「佐田向永沼被及行候間」と見え,佐竹義重・田村清顕の連合軍に長沼城を包囲された蘆名盛氏が,伊達輝宗へ鉄砲の支援を依頼している(伊達家文書/県史7)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269175
最終更新日:2009-03-01




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