ケータイ辞書JLogosロゴ 長橋村(近世)


福島県>いわき市

江戸期〜明治16年の村名浜通り南部,夏井川流域の沖積地に位置する磐城郡のうち磐城平藩領村高は,元禄9年の内藤検地図では280石余,文化年間の村名石附では292石余,「天保郷帳」「旧高旧領」292石余磐城平藩の城下町として市街地が建設され,ことに浜街道の城下への入口に位置したので相当の発展を遂げた明治15年の調査(概説平市史)による当村の町場は,橋下(本)・深町・梅本・小川田・童子【どうじ】町・堂の前・材木町・薬王寺台・新町がある惣門とは長橋口門で,これについては「平城西の出口長橋町の端にあり是江都【えど】へ駅道の惣門なり門を出て橋あり,橋の長さ百二三十間夏日には夕暮の納涼に人多く集る小水下に流れて橋下多くは田なり,霖雨には四方の山次より落来る雫にてたちまち湖水のことく螢多し雪の朝こそさすがに捨てかたき所なり」とある(磐城枕友)三方出口番所の1つが置かれ,東の鎌田町木戸に対する馬市の際にはここで馬の出入りを改めた主な町場に,城の南西に位置する新町・材木町がある新町は,城下の西端にあり,足軽の居住地であり,成立については「延宝元丑年,新町立,郡奉行猪狩新五郎殿,門名勘八殿,大工惣右衛門此三人ニテ町割被致候」(磐城志案録)とある材木町は,本町通り南裏町の職人町で,城詰め人足23人を勤めた磐前【いわさき】県を経て明治9年福島県に所属同12年磐前郡に属し,同16年,北目村・十五町目村・町分村と合併して平町となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269223
最終更新日:2009-03-01




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