ケータイ辞書JLogosロゴ 中町(近世)


福島県>猪苗代町

江戸期〜明治8年の町名会津地方東部,磐梯山南麓に位置する耶麻【やま】郡のうち古くは更級荘に属したという会津藩領川東組に属す村高は,享保3年185石余(小林家文書),文化15年の村日記(県史10下)では新町とともに862石余,「旧高旧領」183石余当町は見禰村の小名であるが,猪苗代城下に属した町名は土【はに】町と新町の中間に位置することによる(新編会津)享保3年の家数47軒・人数160,文化3年の家数14軒・人数40(小林家文書)化政期の家数13軒(新編会津)肝煎は宇幸山家と五十嵐家寺院は浄土真宗樹林山西円寺・本山派修験成就院明治元年10月の村役人排斥の一揆で休役となった旧肝煎は,12月に帰役願を民政役所へ提出した(小林家文書)明治8年本【もと】町ほか1町3か村と合併して猪苗代町となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269243
最終更新日:2009-03-01




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