ケータイ辞書JLogosロゴ 難波野分(近世)


福島県>河東町

江戸期〜明治8年の村名難波ともいう会津地方中部,会津盆地東部,大工川北岸に位置する河沼郡のうち会津藩領代田組に属す村高は「旧高旧領」では101石余化政期の家数6軒(新編会津)寛政3年の開村で,江戸期は藤倉村の小名であったかつて,藤倉村の東に皆鶴姫伝説ゆかりの難波池があり,姫の菩提を弔った難波寺があったと伝えられるが(新編会津),難波野分の名は,この難波寺または難波池の名にちなんだものであろうか明治4年の戸数6・人口37(若松県人員録)同8年藤倉村ほか3か村と合併して倉橋村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269321
最終更新日:2009-03-01




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