ケータイ辞書JLogosロゴ 楢原村(近世)


福島県>下郷町

 江戸期〜明治8年の村名。会津郡のうち。古くは楢原郷に属した。はじめ会津領,寛永20年からは南山御蔵入領。楢原組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録には奈良原町とあり574石余,元禄4年には281石余,文化15年の村日記(県史10下)および「天保郷帳」「旧高旧領」305石余。下野街道(会津西街道)に沿い,倉谷駅より矢の原を越え,八幡社の側より下ると楢原駅となる。貞享年間の筏師は10人。大川を上郷より若松向けに送る流木をさばいた。乗賃は田島組長野村から若松新(飯)寺村まで金1分,100文。また楢原村は山が少なく馬の草刈場のために大川向かいの落合村へ米1石を年々出し,みの助という場所を入会にした。隣の駅所田島村まで城米は定賃で1駄48文・本荷70文・軽尻47文にきめられていた。元禄4年の家数73軒・人数368,馬51,役漆35本。用水堰は五箇村堰で大川より堰を上げ,南に続く上添・小山・倉・岩本の4か村とで管理した。正徳6年の差出帳には馬医が1人とある。大内・田島の中間にある宿駅として栄えたが,寛政元年に60戸焼失の大火があった。化政期の家数72軒(新編会津)。天保8年の家数58軒。村中に楢原組の米倉があった。神社は八幡宮・稲荷神社,神職は星和泉。寺院は天台宗光林山円福寺で郭内延寿寺の末寺。また西城戸塚・館跡がある(新編会津)。明治4年の戸数59・人口290。同7年に楢原小学校が開校。明治8年上添・小山・倉・岩本・刈合の5か村と合併して豊成村となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269356
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ