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- 新田村(近世)とは
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![]() | 新田村(近世) 江戸期~明治23年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 新田村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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![]() | 新田村(近世) 江戸期の村名山城国久世【くぜ】郡のうち伊勢田村の枝郷延宝7年の新検により村高181石余となったが貞享3年までは古検高131石余を採用,元禄に入って新検高を村高とした(宇治市史)郷帳類では「正保村高帳」は伊勢田村,高1,129石余のうち,「元禄郷帳」には村名が見え村高181石余「享保村名帳」「天保郷帳」「旧高旧領」とも同高幕府領となり享保期には桜井孫兵衛代官支配(元禄村別領主帳・享保村名帳)幕末期は京都守護職役知となっている(旧高旧領)当村は巨椋池の南岸にあり,東は本村伊勢田村,西は安田村となるが,分散する本村域の荒地を開拓したため一円的なまとまりはもっていなかったという延宝7年の検地帳によれば,田は反別10町8反・高129石余,畑は5町5反余・高48石余,屋敷地は反別2反余・高3石余石盛は上田14で以下下田まで2つ下りとなり下々田は9,上畑は13で以下下畑まで2つ下りとなり下々畑は8,屋敷地は13なお同検地帳は,新検反別16町5反余のうち12町2反余を17世紀初頭の検地と思われる古検反別と記し,その内訳は田8町4反余・畑3町6反余・屋敷地2反余同検地帳に記載される名請人は63名,うち新田村に屋敷地を所持する者は3名にすぎず残りは本村の百姓耕地の本村域への混在・介在もあり,行政上は本村と分けられているが生活上は本村と1つであったといえる(宇治市史)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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