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「新田村(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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新田村(中世) 室町期~戦国期に見える村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
新田村(中世) 南北朝期から見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
新田村(中世) 戦国期から見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
新田村(中世) 鎌倉期に見える村名丹波国多紀郡波々伯部保のうち文永7年8月28日の尼さい阿弥陀仏譲状によれば,尼さい阿弥陀仏は相伝所領である「ハゝかへのほうのうちのしんてんのむらのた五たん,はたけ一たん」を嫡子蔵人に譲与している次いで,弘安9年11月24日大別当大進房円有は新田桜井畠6反のうち堀江入道行覚分2反を預り,地子として夏6升・秋6升の進納を約しているその後,正中2年に至り当村の田3町・畠1町の相伝について民部卿局(吉田定房継母)と祇園執行宝寿院顕詮の間で相論となり,同年9月16日その3分の1を顕詮,3分の2を惣領の沙汰とし,和与が成立している(八坂神社文書下)現在の篠山【ささやま】市のうちであるが,詳細な比定地は未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
新田村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
新田村(中世) 南北朝期に見える村名黒川郡のうち「相馬岡田文書」建武2年3月25日付の北畠顕家国宣には「下す 黒河郡 早く相馬五郎胤康をして領知せしむべし,当郡新田村,相馬弥五郎行胤跡の事」とある新田村は古代新田郷を受けたものであろうおそらく当時の南迫【みなみはざま】方面であったろうと思われるが,正確に比定できない... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
新田村(中世) 南北朝期から見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」