ケータイ辞書JLogosロゴ 西青津村(近世)


福島県>会津坂下町

江戸期〜明治8年の村名会津地方中部,旧宮川東岸に位置する河沼郡のうち会津藩領青津組に属す江戸初期に青津村から分村して成立もとは鶴沼川(旧宮川)と阿賀川の合流地点付近に位置したが,たびたび水害にあったため南方に移動したというさらに慶長16年の会津大地震の際,山崎村(現喜多方市)付近で阿賀川(大川)が閉塞し,山崎新湖ができて再び水没し移転した(新編会津)村高は,文禄3年の蒲生高目録では稲川郡に属し433石余,寛文9年362石余,文化15年の村日記(県史10下)では377石余,「天保郷帳」375石余,「旧高旧領」377石余化政期の家数23(新編会津)鎮守は稲荷神社寺院は曹洞宗光明寺同寺は永禄11年松岩という僧の開基で(新編会津),境内に聖徳太子堂がある村内のふくべ井戸は年中かれることのない清水であったと伝える主産物は米明治4年の戸数20・人口108同8年下政所村と合併して合川村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269441
最終更新日:2009-03-01




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