ケータイ辞書JLogosロゴ 橋爪村(近世)


福島県>会津高田町

 江戸期〜明治10年の村名。大沼郡のうち。会津藩領。橋爪組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では1,398石余,文化15年の村日記(県史10下)では857石余,「天保郷帳」1,484石余,「旧高旧領」864石余。端村に田中があり,田中の小名に丸山がある。化政期の家数は本村45軒・田中30軒,田中の小名丸山7軒(新編会津)。田中はもと本村の近くにあったが,用水の便のよい所に移動した。丸山は寛政3年に廃田を開いた村である。神社は熊野宮。田中分の鎮守は熊野宮,本村の鎮守の境内にあった。寺院は天台宗薬師寺・浄土宗正法寺。薬師寺は縁起によると藤原秀衡が鎌倉からとりよせた薬師像を,秀衡の死後ここに安置し創建したと伝えるが,寛永17年の火災で寺の古記録や宝物は焼失。正法寺はもと村の東部にあったが,天正年間に僧法勝が移転したと伝える。明治初年端村田中を田中分として,田中の小名丸山を丸山新村として分村。同4年の戸数46・人口269(若松県人員録)。若松県を経て明治9年福島県に所属。同10年田丸村と合併して橋丸村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269635
最終更新日:2009-03-01




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