ケータイ辞書JLogosロゴ 土田新田村(近世)


福島県>猪苗代町

江戸期〜明治8年の村名会津地方北部,磐梯山南麓に位置する耶麻【やま】郡のうち古くは更級荘に属したという会津藩領川西組に属す延宝2年筑前守正経により会津藩祖保科正之をまつった土津神社の祭田として開かれた(新編会津)村高は,文化15年の村日記(県史10下)および「天保郷帳」ともに371石余,「旧高旧領」376石余,新田を開くため家老友松勘十郎氏興は8万人の人夫を費やし,延宝3年長さ8,600間余の土田堰を築いた化政期の家数30軒(新編会津)土田峠にある殺生石は,那須野ケ原で源翁和尚が打毀した殺生石の破片が飛来したもので,当地でも毒石となって人を悩ませ,再び和尚が打毀したとの伝説がある二本松街道が通り,村の北方は磐梯山麓で,天正17年会津蘆名氏と伊達政宗が戦った磨上原【すりあげはら】古戦場跡である慶応4年の産物は割り木(猪苗代郷土誌稿)肝煎は穴沢家の世襲明治8年西久保村ほか3か村と本町・新町上分の各一部が合併して磐根村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269694
最終更新日:2009-03-01




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