ケータイ辞書JLogosロゴ 針屋町(近世〜近代)


福島県>会津若松市

江戸期〜昭和40年の町名明治初年から明治22年までは若松を冠称江戸期は若松城下郭外北部のうち明治初年若松,同22年若松町,同32年若松市,昭和30年からは会津若松市の町名下町に属し,善久町の北に並ぶ町名は針工が多く居住したことによる長2町47間・幅3間余化政期の家数57軒(新編会津)主に職人・商人が居住した(文化4年風俗帳/県史24)寺院は天正2年創建と伝える真宗大谷派西蓮寺,元和5年僧良然開基という浄土宗見性寺当町の吉田家は代々鍛冶を業とし鎖を製し,扶持米を給された(同前)明治初年に当町の西半分が針屋名子屋町として分離明治8年の戸数18・人口102(若松県地誌資料)昭和40年現行の日新町となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269766
最終更新日:2009-03-01




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