ケータイ辞書JLogosロゴ 飯田郷(中世)


福島県>桑折町

戦国期に見える郷名伊達【だて】郡のうち半田とも書く地名はもと飯田邑の飯田氏が当地に住したことによる現在の桑折町大字北半田から大字谷地にかけての条里制の遺構から古代には大水田地帯であったことがわかる天文段銭古帳に「伊達にしね」のうちとして「一,十壱〆七百七十五文 はんた 北さハ」と見え,半田・北沢両村に11貫775文の段銭がかけられていたことがわかる(伊達家文書/県史7)天文22年正月17日の伊達晴宗安堵状に「同にし根飯田之郷」と見え,桑折貞長に伊達郡西根飯田郷をはじめとする所領を安堵しているまた同日の伊達晴宗知行充行状に「同郡飯田之内少将分,高橋在家一間并畠,同なし木まち三百苅」と見え,嶺刑部丞に伊達郡飯田のうち以下の所領を宛行っている(長倉文書/県史7)これらは伊達氏の天文の乱後,伊達晴宗が新たに家臣に所領の安堵・宛行を行ったものであり,このとき成立した「采地下賜録」に「いたて西根はん田の内,南の坊」と見え「阿へや四郎」に加恩として「や代たしまの分」であった「はん田」以下の所領が宛行われている中通り北部,福島盆地北部の阿武隈川西岸の台地上に位置し,現在の桑折町北部一帯に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269784
最終更新日:2009-03-01




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