ケータイ辞書JLogosロゴ 東城戸村(近世)


福島県>会津若松市

江戸期〜明治16年の村名会津地方中部,阿賀川(大川)と湯川の間に位置する会津郡のうち会津藩領高久組に属す村高は,文化15年の村日記では191石余(県史10下),「天保郷帳」201石余,「旧高旧領」200石余「新編会津」によると,往古はこの周辺を天満十二邑と称し,武藤氏の知行地であった所から武藤村ともいった慶長5年に上杉景勝が神指【こうざし】城を築く時,その東門にあたるので一時東南の酒漕【さかふね】というところに移ったが,廃城後は旧地に戻り東城戸と呼ぶようになったとある化政期の家数48軒(新編会津)村の北部に武藤右京佐直正の墓がある神社は伊勢宮村の東部一帯は戊辰戦争で会津藩娘子軍が奮戦し中野竹子が戦死したところであるまた字酒漕は神指城築城に際し,人夫に酒を飲ませたところという若松県を経て明治9年福島県に所属明治4年の戸数41・人口221(若松県人員録)同12年北会津郡に属し,同16年新屋敷村および若宮村の一部と合併して黒川村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269807
最終更新日:2009-03-01




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