ケータイ辞書JLogosロゴ 東黒川(近世)


福島県>会津若松市

江戸期の地名若松城下の町分の上河原分・八角【やすみ】分・蚕養宮【こがいみや】村(蚕養分)・千石町分・南町分・材木町分の総称(新編会津)寛文年間会津町村細見では天寧寺町分も含まれる(初瀬川家文書)これらの町分は町方と村方の中間にあたる地域で,年貢地は所々に分散しており,民家は一か所に集中せず町屋に連なっていたまた普通の村落とは様相を異にし,耕作のほか物品の売買なども行った貞享2年の東黒川分覚書では村高3,030石余,家数155軒(県史23)会津郡中荒井組中荒井郡役所の支配をうけ,肝煎・地首【じがしら】などの役人がおり,その上に郷頭も置かれたまた町分は江戸中期以降町方になった所もある(会津若松史4)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269810
最終更新日:2009-03-01




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