ケータイ辞書JLogosロゴ 火玉村(中世)


福島県>会津本郷町

室町期から見える村名大沼郡のうち小川荘西山日光寺鐘銘(県史7)に「寛正五年 大沼郡火玉大工藤内次郎家貞」とあるのが初見文明6年6月21日法用寺鐘銘(県史7)にも「火玉村大工相合奉鋳也」とある中世には鋳物師の集落があったものと思われる塔寺長帳(続群30上)には「(永正18年4月19日)みなミのやま勢ひたまへ入,ことことくやき候みなみな打死つかまつり,一騎もかゑらす候」とあり,異本長帳には,「(永正)十七庚辰……田嶋城主長沼悪五郎実国葦名家ヲ欲攻,四月廿三日ニ檜玉村ニ陳ス近村ヲ放火シテ,十六日蘆名盛舜馳向」とあり,会津盆地南端に位置し,南山(現南会津郡)へ通じる街道沿いの要所にある当村が戦略上の要衝であったことを物語っている「新編会津」福永村の項には火玉村は寛永4年に福永村と改めたこと,南部の山間に大工屋敷【たこやしき】という集落があることが記載されている会津地方中部,現在の会津本郷町大字氷玉の福永集落に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269851
最終更新日:2009-03-01




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