ケータイ辞書JLogosロゴ 檜原(中世)


福島県>北塩原村

 戦国期から見える地名。耶麻【やま】郡のうち。昔は檜木谷地といい,文太郎という者を首領とする山賊たちが住みついていて旅人を悩ましていたので,文明18年蘆名盛高は穴沢越中に命じてこれを討たせ,大沼郡境野・寺入・道知窪の3か村を与えて越中を当地に置き,出羽国(山形県)に対する押さえとした。越中は北の戸山に館を築いて移住し,檜木谷地を改めて檜原と名づけたと伝える(新編会津)。異本長帳には,「永正元年甲子黒川大守蘆名盛高,檜原口ノ為守,中田城主穴沢越中 山内俊宗,今年遣ス」とあり,当地は米沢(山形県米沢市)の伊達氏に対する蘆名氏の前線基地として形成されたのである。永禄8年7月27日,伊達氏の兵が来襲し,穴沢・遠藤両氏がこれを撃退。翌9年正月24日再び伊達勢1,000人余が当地に来攻し,穴沢氏と佐瀬玄蕃がこれを迎え撃つ(異本長帳)など,永禄年間ころから国境の檜原峠を中心に蘆名・伊達両氏の攻防が激化している。伊達政宗は当地の地頭穴沢一族の内紛をさそい,その機に乗じて天正12年11月26日に当地を占領した(新編会津)。天正日記の天正17年6月1日条に「原田左馬助,ひはら(檜原)へ則罷越被申候。新田殿もとうせん(同前)に罷越御申候」と見える。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269867
最終更新日:2009-03-01




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