ケータイ辞書JLogosロゴ 檜原村(近世)


福島県>北塩原村

 江戸期〜明治22年の村名。耶麻郡のうち。会津藩領。村高は文禄3年の蒲生高目録で40石余。米沢街道の宿駅で会津領の北端に位置し,北部に檜原口と呼ばれる番所が設置され,寛永20年から穴沢氏がこれを守った。山間部で高冷のため耕地が少なく,村民は木地挽き,望陀【もうだ】の皮剥ぎ,旅店などの駄賃稼ぎで生計を立てた。そのため租税・丁役は課せられず村と称してもどの組にも所属しなかった。一里塚が西部と出羽国の境をなす檜原峠南麓にある(新編会津)。検断は松本氏の世襲。木地小屋に戸倉(早稲沢)・戸倉山(小野川)・雄子沢【おしざわ】・細野があり,生産される木地はすべて小荒井・塚原・清次袋などの北方【きたかた】地方の村々へ出荷した。猪苗代〜雄子沢〜当地を結ぶ道は雄子沢通と称された。化政期の家数は本村59軒・戸倉10軒・戸倉山3軒・雄子沢13軒・細野7軒(同前)。鎮守は山神社,同社は長享年間に穴沢越中俊家が再興したという。崇徳寺は永正年間に穴沢俊家が菩提所として建立し真言宗蘭山檜原寺と称した。その後天正13年に伊達氏の兵火にかかり,江戸初期穴沢氏が湯殿山参詣の僧を留めて再興し,承応2年に浄土宗となり寺号も改めたという(同前)。東部にある檜原金山は天正年間頃から金が出たと伝えるが,慶長10年に熊野権現の中常坊が来て坑を穿ち,盛時には小屋が1,000軒も建ち多くの金銀を採掘したと伝える。若松県を経て明治9年福島県に所属。戸数・人口は明治13年112・553(県治統計表),同20年105・611。明治12年耶麻郡に属し,同22年市制町村制施行後も1村として存続。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269868
最終更新日:2009-03-01




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