ケータイ辞書JLogosロゴ 平林村(近世)


福島県>喜多方市

 江戸期〜明治22年の村名。耶麻【やま】郡のうち。会津藩領。熊倉組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では1,635石余,文化15年の村日記(県史10下)では837石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに851石余。端村に婆柳・地理・信濃・長於佐・新屋敷がある,もと羽賀屋敷という2つの端村があったが,のちなくなったという。また慶安元年に端村であった京出村を分村したという(新編会津)。化政期の家数は本村12軒・婆柳7軒・地理6軒・信濃2軒・長於佐6軒・新屋敷4軒(新編会津)。神社は磐掎神社。寺院は真言宗蕨山福聚寺。下柴村との間に小松堰に関する井水相論が起こっている。慶長9年6月9日には蒲生氏奉行人連署裁許状(新編会津所収文書)が下され,「先年の如く小松堰の水,朝六ツ時より晩七ツ時迄平林へとり,晩七ツ時より夜中同明方六ツ前迄下柴へとるへき事」という形で決着をみた。若松県を経て明治9年福島県に所属。戸数・人口は明治13年32・202(県治統計表),同20年33・209。明治12年耶麻郡に属し,同22年関柴村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269889
最終更新日:2009-03-01




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