ケータイ辞書JLogosロゴ 深沢(中世)


福島県>塩川町

 南北朝期から見える地名。耶麻【やま】郡のうち。初見は明徳2年5月13日某判物(新編会津所収文書/県史7)は,刑部律師什明が黒川(会津若松市)の諏訪神社社務職に補任されたときのもので「天満大自在天神々田,在深沢五百文」と記されている。大永5年12月6日の蘆名盛舜・松本宗勝加判塚原光久田地売券(新編会津所収文書/県史7)に「山郡たけ屋九ケ村之内南ふかさハ十貫文之所,山共に七十五貫ニ,乙酉年(大永5年)より永代売渡申所実也。彼所ハ公方役以下棟役共,皆御免候」と見え,同月同日の富田実持証状(同前)には「山郡たけ屋九ケ村之内,塚原中務之所帯,南ふか沢拾貫文之所,山共ニ七十五貫文に,乙酉年より永代売渡申所実也」と記されている。これらのことから当地は戦国期において北部にある竹屋村の一部として扱われ,公方役以下棟役などが免除されており,塚原中務丞光久の所領であったが、小泉伊賀守に売り渡されたこと,富田左近将監実持と塚原光久の間には寄親(指南)・寄子の関係が成立しているようすがうかがわれる。金川新堀江代之記事(同前)に「長堤 小二百かりふか沢分,関根八百かりふか沢分」と見える。村内にある館跡は平塚亮貴が住んでいたと伝え,曹洞宗平塚山浄光寺には平塚亮貴夫婦の墓とされる五輪塔2基がある(新編会津)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7269924
最終更新日:2009-03-01




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