ケータイ辞書JLogosロゴ 船窪村(近世)


福島県>会津坂下町

 江戸期〜明治8年の村名。河沼郡のうち。会津藩領。牛沢組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では稲川郡に属し133石余,寛文5年の万改帳では140石余,文化15年の村日記(県史10下)では186石余,「天保郷帳」188石余,「旧高旧領」191石余。寛文5年の万改帳では家数18軒・竈25・人数115,反別は田7町余・畑11町余,主な産物は米・麦・豆・粟・稗・漆・蕎麦・タバコ・芋・油荏など,小物成として綿役・糠藁・足前・山役,ほかに役漆木243本・役蝋5貫109匁とあり,養蚕も行われた(会津風土記風俗帳1)。化政期の家数26軒(新編会津)。船窪沢堤は寛政5年に築かれ周囲97間。太子堂の聖徳太子像には享保年間火災にあい,のち作られたとの銘文がある。地蔵堂は牛沢村との境にあって,俗に一本杉の地蔵と称される。神社は御稷神社。明治4年の戸数18・人口107。同8年杉村と合併して船杉村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7270030
最終更新日:2009-03-01




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