ケータイ辞書JLogosロゴ 古町村(近世)


福島県>伊南村

 江戸期〜明治22年の村名。会津郡のうち。古くは伊南郷に属した。はじめ会津領,寛永20年からは南山御蔵入領。古町組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では315石余,寛文6年の村々改帳では524石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに558石余。小名に道成がある。寛文6年の年貢は免6.08で,金66両余・銀13匁余(村々改帳)。天明8年の年貢は米3分の1,免は田5.57・畑6.08(御案内手鑑/馬場家文書)。寛文6年の家数52軒,端村小沼10軒,人数427,馬35(村々改帳)。天明8年の人数354(御案内手鑑/馬場家文書)。化政期の家数は,本村50軒・小名道成31軒(新編会津)。古くは伊南郷,江戸期は古町組の中心地で,郷頭が居住し,巡検使や代官が休泊した。天正年間から2・7の六斎市が開かれ布・真綿・麻などが売られたが,江戸中期にこれら特産品を江戸・近江商人が買い集めたため市は衰えた。寛文6年の反別田25町余・畑30町余,産物は瀑布織金35両・麻金60両など(村々改帳)。明治元年11月,当村の名主へ百姓たちが借金証文を帳消しにすることなどの10か条を要求した伊南三千石騒動が起こった(馬場家文書)。関東往還の駅路で,沼田街道に沿って家並みが街村風に立ち並んでいたが,たびたびの大火によりその古さはとどめていない。神社は鹿島神社・愛宕神社など。広瀬神社の祭礼は天和年間に京都祇園祭の形式をとり入れたという。寺院は浄土宗善導寺・時宗照国寺。若松県を経て明治9年福島県に所属。同20年の戸数93・人口421。明治12年南会津郡に属し,同22年伊南村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7270061
最終更新日:2009-03-01




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