ケータイ辞書JLogosロゴ 仏崎村(中世)


福島県>いわき市

鎌倉期から見える村名好嶋西荘のうち初見は宝治2年6月日の伊賀光宗(光西)置文で,「当庄内今新田・小谷・佐子・仏崎内荒野除之也」と見え,伊賀光宗より子息光綱に当村などを地頭・預所兼帯として譲与されている(飯野文書/県史7)また,永仁元年12月17日の将軍家〈久明親王〉政所下文案に「陸奥国好嶋庄仏崎荒野〈除分載譲状〉」と見え,弘安10年正月20日伊賀光隆から子息光清に譲られ,これを鎌倉幕府が安堵している(同前)永仁5年8月8日の八幡宮鳥居作料等配分状案に「鳥居番匠作料厨雑事配分事」として「三百六十文 白米四升五合 仏崎矢河子」と見え,当村と矢河子村に銭360文,白米4升5合が課せられていたことがわかる(同前)康応2年3月26日の岩城隆久寄進状に「仏崎村内 五段〈みやうふ田〉」と見え,岩城隆久は当村内の田5反を飯野八幡宮に寄進している(同前)応永8年閏正月15日の飯野八幡宮閏月祭礼役配分目録に「西庄分」として「仏崎村〈大瓶一折櫃一折敷坏汁菜〉」と見え,当村には大瓶1・折櫃1・折敷・坏・汁菜が課せられている(同前)また年月日欠の飯野八幡宮閏月祭礼役配分目録に「仏崎并小谷迫〈大瓶坏〉おりひつ一大へい一さかつきおしき」と見え,当村と小谷迫村に大瓶・坏・折櫃1・大瓶1・坏・折敷が課せられていたことがわかる(同前)なお弥勒2年(永正4年)2月22日の岩城親隆書状に「たかつきの屋敷之替地として,仏崎をきに」と見え,岩城親隆が高築の屋敷の替地として当村内の田地1町3反を飯野氏に渡している(同前)浜通り南部,現在のいわき市好間町愛谷地内の法師ケ崎付近に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7270086
最終更新日:2009-03-01




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