ケータイ辞書JLogosロゴ 穂谷沢村(近世)


福島県>会津本郷町

江戸期〜明治8年の村名古くは保谷沢・ほや沢とも書いた保科氏が会津藩主となった時,穂谷沢と改めた会津地方中部,会津盆地南縁,阿賀川(大川)西岸に位置する大沼郡のうち会津藩領南青木組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録にはほや沢と見え144石余,「会津鑑」によれば寛政元年306石余,「天保郷帳」314石余,「旧高旧領」338石余端村に堀内,小名に滝・総沢(宗沢)がある化政期の家数は入穂谷沢25軒・堀内16軒・滝11軒・総沢8軒(新編会津)神社は稲荷神社寺院は曹洞宗元(源)慶寺同寺には「月翁宗円居士元和九年癸亥九月二十五日,堀内遠藤土佐守入道」と記した位牌があり,これは当村の肝煎遠藤家の祖先のものという文化3年に遠藤善之丞が新田開発を行ったタバコ栽培が盛ん明治4年の戸数44・人口276(若松県人員録)明治8年馬越【まごし】村と合併して穂馬村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7270129
最終更新日:2009-03-01




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