堀江町(近世)
江戸期〜明治初期の町名堀江丁とも書いた明治初年からは若松を冠称江戸期は若松城下郭外北部のうち上【うわ】町に属し,中六日町横丁の北に並ぶ化政期の家数31軒(新編会津)長1町10間・幅4間寛永18年加藤氏がこの町を置いた町名は,堀江某を当町の長にしたことに由来するという(文化4年風俗帳/県史24)遊女町として栄えたが,寛永20年保科氏入封以後,遊廓は廃止された(新編会津)「新編会津」には「即蚕養宮村八角分の地なり」とある明治8年頃中六日町に編入
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7270133
最終更新日:2009-03-01