ケータイ辞書JLogosロゴ 本名村(近世)


福島県>金山町

 江戸期〜明治22年の村名。大沼郡のうち。古くは河口郷に属した。はじめ会津領,寛永20年からは南山御蔵入領。大石組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では横田村に包含記載されていると思われ本村は不詳。しかしのちの当村の端村となる三条村はもと西条村と呼ばれ,蒲生高目録には西条として23石余が見える。文化15年の村日記(県史10下)および「天保郷帳」「旧高旧領」では320石余。小名に舟戸・夏井,端村に湯倉・三条がある。寛文8年に郡代関藤右衛門の指導により60石余の新田開発を実施しこの水利を関口堰と名付けた。化政期の家数は本村46軒・舟戸7軒・夏井5軒・湯倉5軒・三条9軒(新編会津)。大石組人別家数書上帳によれば,天保13年には家数104軒・人数530。神社は稲荷神社・山神社,寺院は天文年間,栄玄の再興と伝える真言宗高現寺がある。高田村(現会津高田町)の伊佐須美神社ははじめ当村内御神楽岳に鎮座しており,のち高田の現地に遷座したと伝えられる(新編会津)。若松県を経て明治9年福島県大沼郡に所属。戸数・人口は明治8年110・574(県資料),同20年の戸数109・人口596。明治12年大沼郡に属し,同22年市制町村制施行後も1村として存続。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7270159
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ