- JLogos検索辞書>
- 丸子村(近世)とは
「丸子村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
丸子村(近世) 江戸期~明治9年の村名庄内地方,庄内平野北部,庄内高瀬川中流域に位置する地名は川岸で渡船の仕事をした古代の部民,丸子部にちなむ(地名語源辞典)とも,昔鳥海山頂に翼を休めた鳳の卵から生まれ当地方の守護神になったと伝えられる丸子親王にちなむ(庄内の伝説)ともいうはじめ遊佐【ゆざ】郡,寛文4年からは飽海【あくみ】郡のうちはじめ上杉氏領,慶長6年最上氏領,元和8年からは庄内藩領遊佐郷に属す村高は,元和8年の御知行目録では299石余,寛永元年の庄内検地高辻では422石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに447石余,享和3年の御郡中村数家数人高控帳(遊佐町,斎藤家文書)では家数43軒・人数114幕末期の「荘内要覧」によれば,免5ツ5分,家数35軒菅野【すがの】谷地は宮田【みやだ】村・五分市【ごぶいち】村と当村の入会地であり,大部分は当村の入会地であった曹洞宗興隆山青原院は永泉寺末寺で,元和5年大岩伝樹大和尚の創建と伝える(山形県寺院大総覧)三上神社は観音様とも称し,観音講の念仏や悪病が流行すると悪病退散全快祈願をする風習がある鶴岡県を経て明治9年山形県に所属同年北目村に合併 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」