ケータイ辞書JLogosロゴ 南宇内村(近世)


福島県>会津坂下町

江戸期〜明治8年の村名会津地方中部,旧宮川(鶴沼川)西方の段丘上に位置する河沼郡のうち会津藩領青津組に属す村名の宇内は高寺を中心とする古代仏教の盛んな頃,その堂宇のうちという意味から生じたという村高は,文禄3年の蒲生高目録では稲川郡に属し443石余,寛文9年は533石余,文化15年の村日記(県史10下)では564石余,「天保郷帳」589石余,「旧高旧領」629石余化政期の家数は本村46軒・端村原2軒(新編会津)鎮守は五稷神社寺院は浄土宗浄運寺永延2年越後の城代が会津に築いた会津八館の1つという陣ケ峯城跡がある(会津鑑)西部の勝負沢峠は越後街道の本道であったが,慶長16年の会津大地震により鐘撞堂峠経由に改修された主産業は稲作・養蚕鶴沼川と阿賀川の合流点付近に位置するため毎年洪水の被害を受けた明治4年の戸数53・人口288同8年北宇内村と合併して宇内村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7270377
最終更新日:2009-03-01




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