ケータイ辞書JLogosロゴ 柳原組町(近世)


福島県>会津若松市

江戸期〜明治初年の町名江戸期は若松城下郭外西部のうち半兵衛町の西,湯川の西岸にある東西4条の通りと南北数条の小路および柳原町当町の通りと化政期の家数は,一番丁45軒・二番丁42軒・三番丁42軒・四番丁34軒・横通10軒・柳原町22軒(新編会津)狭義の柳原町は商人の町で,そのほかは足軽同心の居住地(同前)「新編会津」には一番丁・四番丁に「小黒川分の地雑れり」とあり,横通には「小黒川分の地なり」とある江戸初期蒲生氏時代の絵図には,柳原町と一番丁しか見えず,正保国絵図には,三番丁まで見える柳原町・一番丁は江戸初期に,二番丁・三番丁は正保年間までに,四番丁以下は正保年間以降に成立明治初年に石上分・材木町分に編入したかとも思われるが,詳細は不明
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7270713
最終更新日:2009-03-01




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