ケータイ辞書JLogosロゴ 山潟村(近世)


福島県>猪苗代町

 江戸期〜明治22年の村名。山形・山方とも書く。耶麻【やま】郡のうち。古くは月輪荘に属したという。会津藩領。川東組に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では猪苗代郡に属し451石余,享保3年1,129石余(小林家文書),文化15年の村日記(県史10下)では1,039石余,「天保郷帳」1,128石余,「旧高旧領」1,129石余。古くは民居があったが一時荒れはて,永正年間の頃下野国の浪人加賀某が安達【あだち】郡玉井村から移住し再開発したという(新編会津)。二本松街道の宿駅である。端村に上戸【じようこ】・餉沢【かれいざわ】新田がある。享保3年の家数130軒・人数504,馬118,文化3年の家数76軒・人数314,馬99(小林家文書)。化政期の家数本村76軒,上戸17軒,餉沢新田2軒(新編会津)。山中に馬を放牧していた(同前)。村の東部の田子沼には伝説がある(新編会津)。慶応4年の産物は小鳥(猪苗代郷土誌稿)。肝煎は古くは小檜山家,のち関家。鎮守は田子神社。寺院は新義真言宗豊山派寿徳寺。また修験の大法院があり,猪苗代三十三観音の第12番札所となっている。若松県を経て明治9年福島県に所属。同20年の戸数86・人口439。明治12年耶麻郡に属し,同22年月輪村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7270747
最終更新日:2009-03-01




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