ケータイ辞書JLogosロゴ 山崎村(近世)


福島県>喜多方市

江戸期〜明治10年の村名会津地方北部,阿賀川北岸に位置する耶麻【やま】郡のうち古くは新宮荘に属したという会津藩領慶徳組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では184石余,文化15年の村日記(県史10下)では477石余,「天保郷帳」519石余,「旧高旧領」540石余村名の由来は村の西に連なる山が日橋川(阿賀川)に臨み出崎のようになっているから名付けたという(新編会津)端村に天神免【てじめ】がある化政期の家数は本村41軒,天神免6軒(同前)慶長16年8月の大地震で山崩れが起こって阿賀川がせき止められ,耶麻郡7か村,河沼郡16か村の地が水底に没し東西35町余・南北20町余の山崎新湖ができた加藤氏の時下流を通して水が減ったが,寛永8年9月の洪水で再び増水し,寛文年間頃まで新湖が存在した(同前)村の南部の日橋川に船渡場があり,河沼郡青津組の諸村に通じている神社は十二所神社・麓山神社寺院は曹洞宗松峯山竜源寺若松県を経て明治9年福島県に所属同10年真木村と合併して山科【やましな】村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7270784
最終更新日:2009-03-01




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