ケータイ辞書JLogosロゴ 好嶋山(中世)


福島県>いわき市

鎌倉期から見える山名好嶋西荘好嶋村のうち正応3年9月12日の関東下知状に「陸奥国岩城郡好嶋庄西方預所式部孫右衛門尉頼泰与地頭好嶋小太郎盛隆相論山事」と見え,地頭好嶋盛隆と預所伊賀頼泰とが当地を相論し,建長6年の東荘の例に准じて預所の支配下となった(飯野文書/県史7)正和5年9月4日の沙弥某召文には「陸奥国好嶋西庄山事」とあり,一分地頭鼻関基隆が当地に濫妨をはたらいている(同前)その後も元亨4年12月7日の関東下知状に「好嶋山」(同前),正中元年12月23日の関東下知状にも「好嶋山」と見え(同前),盛隆の子隆清と頼泰の子光貞代官義直の間で争われ,正応の下知に任せて沙汰するよう裁許されている正慶元年8月18日の中務大輔施行状にも「好嶋山事」と見え,好嶋彦太郎泰行と伊賀三郎盛光との間で争われ,幕府は白河の結城宗広や小山出羽入道らに伊賀氏への打渡しを命じている(同前)しかし,これは実行されなかったようで,元弘3年11月16日の伊賀盛光代盛清申状によれば,正応3年の好嶋山御下知状,元亨4年同山御下知状などをそえて預所職の安堵を建武新政府に申請している(同前)暦応2年3月13日の法眼行慶打渡状に「陸奥国岩城郡好嶋山事」とあり,当地は伊賀盛光に打渡されている(同前)しかし,この相論はおさまらず,貞和2年7月27日の沙弥某・左衛門尉某連署奉書にも「陸奥国好嶋庄西方好嶋山事」と見え,好嶋新兵衛尉隆義(吉)も押領している(同前)浜通り南部,現在のいわき市好間町下好間地内に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7270961
最終更新日:2009-03-01




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