ケータイ辞書JLogosロゴ 四倉村(近世)


福島県>いわき市

 江戸期〜明治22年の村名。磐城郡のうち。はじめ磐城平藩領,延享4年からは幕府領。村高は,文禄4年の検地目録(いわき市史)では549石余,元和8年には826石余(同前),元禄9年の内藤検地図では953石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,601石余。「元禄郷帳」に見える枝郷田戸村は「天保郷帳」では「古者四倉村・田戸村・中野新田 三ケ村」として,当村に含まれている。田戸村については「本村ノ聚落ヲ為ス実ニ田戸ヨリ始ル,蓋シ当時沿海ノ地斥滷宅ルベカラザルナリ。後桑滄漸ク変シ沿海便宜ト地ヲ闢クニ及ビ人民年ヲ逐フテ移住シ,本郷漸ク衰フ」(磐城郡村誌)とある。また文政10年にこの地を旅した小宮山楓軒の「浴陸奥温泉記」にも「旧田戸ノ郷ヨリ出ヅ。今田戸ハ二百石ノ地ナレド年始ノ礼は必田戸ヲ始メトス」と記されている(随筆百花苑)。延享4年の家数265軒・人数1,375,馬37,漁船20,「人家整然街道ヲ挾ンデ駢列ス,地山海ヲ占メ漁塩ニ富ミ巨商豪農踵テ起ル,其盛ナルヤ一・六ノ日ヲ定メ市ヲ開キ近傍諸村ヲ併セ四倉組ト称ス。平城以北宿駅ノ段富当時此ヲ以テ最ト為ス」(磐城郡村誌)とある。文政年間には「高千石,四百七八十家アリ,漁ヲ業トス。赤水紀行ニ養気人ヲ衝キ鼻ヲ掩ヒ而過ト見エタル如ク,是日モ多ク鰯ヲ乾シテアリ。如来寺アリ,門前ニ溺死聖霊百十五人トアル碑アリ」とある(浴陸奥温泉記)。また「岩城郡と楢葉郡の界は四ツ倉の北二町」であった(東遊雑記)。磐前【いわさき】県を経て明治9年福島県に所属。同20年の戸数441・人口2,423。明治12年磐城郡に属し,同22年市制町村制施行により四倉町となり,1町として存続。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7270966
最終更新日:2009-03-01




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