ケータイ辞書JLogosロゴ 米沢村(近世)


福島県>新鶴村

江戸期〜明治8年の村名会津地方中部,会津盆地南西縁の山麓に位置する大沼郡のうち会津藩領高田組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録で396石余,寛文5年の高田組郷村万改帳(会津風土記風俗帳1)では519石余,「天保郷帳」769石余,「旧高旧領」772石余付近に米沢という山沢があり,村名はこれにちなむという(高田組郷村万改帳/会津風土記風俗帳1)寛文5年の家数68・人数336化政期の家数57軒(新編会津)元和9年安田村領分から宮川の水を上げて,大堰を掘り,用水として利用,田26町8反余を潤した(新鶴村誌)慶安3年高田組郷頭田中五郎三郎の見立てにより,河井喜左衛門ら3名の同心衆が奉行をつとめ,人夫合計9,530人で米沢堤を築いた(県史23)堰の堀年貢は佐布川村・境野村と合わせて約2石を納めていた神社は伊佐須美神社など,寺院は天台宗宝幢寺明治4年の戸数48・人口251(若松県人員録)明治8年根岸中田村と合併して米田【よねた】村となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7270983
最終更新日:2009-03-01




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