ケータイ辞書JLogosロゴ 米代(近世)


福島県>会津若松市

江戸期〜明治初年の町名米台・米袋とも書いた江戸期は若松城下郭内西部西出丸西側の東西4条の通り北端が一之丁,南端が四之丁当町の通りの化政期の家数は,米代一之丁19軒・米代二之丁35軒・米代三之丁38軒・米代四之丁22軒(新編会津)当町は士屋敷・役所・蔵などが立ち並んでいた郭外との境界に河原町口などの門が設けられていた西大手門の向かいには,最上級の重臣の屋敷があった享和3年米代二之丁の北側に藩校日新館が開設された寺院は米代四之丁の曹洞宗恵倫寺,同寺は蒲生氏郷が亡父賢秀の菩提寺として建立したものであるが,慶長17年北青木村に移転当町は戊辰戦争によってほぼ焼失した年未詳だが,明治初年に栄町の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7270984
最終更新日:2009-03-01




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