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「青木郷(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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青木郷(中世) 南北朝期から見える郷名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
青木郷(中世) 戦国期に見える郷名小県【ちいさがた】郡のうち戦国初期成立の諏訪御符礼之古書によれば,「寛正二年〈辛巳〉花会……前宮,海野青木郷,代官深井肥前守治光,御符之礼二貫五百文,頭役〈拾〉貫」と見え,海野内の郷として諏訪社上社四月花会の頭役を勤仕している(信叢2)同書によると,以後,寛正6年・文明2年・同6年・同11年・同15年・長享2年と海野氏幸の支配下で,代官深井氏であった天正7年の上諏訪造宮取帳には「大宮御門屋 取手 大祝 海野本郷 深井 青木 正物拾貫文 代官 春原志摩守」と見え,造宮料を負担している(同前2)なお,永禄9年9月3日の諏訪社上社造営再興次第には「海野之分」のうちに「上青木之分」「下青木分」が見え,この頃には上下に分かれていた(諏訪大社文書/信史12)現在の上田市蒼久保のあたりに比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
青木郷(中世) 南北朝期~室町期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
青木郷(中世) 戦国期から見える郷村名足立【あだち】郡のうち延文6年に記されたという市場之祭文の応永22年7月20日の追記に「武州足立郡青木市祭」とある本文書は,市場の繁栄を祈って修験者などによって読み上げられたといい,武蔵国における市場の開催地を列挙したものであるが,戦国期以降の成立とする説が強い(武文)なお天正18年に豊臣秀吉に提出した7月17日付の鶴岡八幡社社領注文案には「三貫三百文 武州 青木郷之内 但御供領之内」とあり,当地と推定される現在の川口市西部を中心とするあたり... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
青木郷(中世) 南北朝期に見える郷名託麻郡六箇荘のうち正平2年9月20日の恵良惟澄官軍恩賞所望交名并闕所地注文案写(阿蘇文書/大日古13-1)に「一,子守八郎惟一申肥後国六ケ庄内青木綱(ママ)地頭職,同庄内桑原郷地頭職事」と見える現在の益城【ましき】町のうちと推定されるが,詳細は不明なお応永27年閏正月14日に書写された天福2年2月11日の健軍社領肥後津守保作田人給注文写(同前)に「青木里」が散見するが,当郷とのかかわりは未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」