ケータイ辞書JLogosロゴ 青物町(近世〜近代)


茨城県>水戸市

江戸期〜昭和55年の町名江戸期は水戸城下下町の1町明治22年からは水戸市下市のうちで,昭和8年からは水戸市の町名水戸城の東に位置する町人町「新編常陸」によれば,町名は八百屋が多く居住したことにちなむ肴町の南で,裡4町目の堺から北に向かい,本4町目・本5町目・裡5町目の3路を受けて竹熊町に至る町もとは紙類を売る店が多く紙町といい,文化元年青物町と改称し,古記(水城金鑑)云として東側78間・西側58間,戸数31とある宝永6年の記録では屋敷持25・店子34,職業はうどん8・宿屋4・八百屋4・荒物屋8・たばこ4・紺屋4・農業2など(東市街人姓名録一坤)「水府地理温故録」によれば紙町として,当町には八百屋や太物・荒物の商家が多く,3 ・ 8 の日の六斎市が立って城下随一の盛り場であるというまた,裡5町目に通ずる前路の板橋には昔,妖狐が出たと伝え,当町北詰には七軒町の三宝荒神の仮殿が構えられて6月中旬に材木町と隔年で出輿があり,その時は一戸ごとに灯籠を掲げてにぎやかであると記す天保5年当町の青物問屋は仲買商が問屋での仕入れを行わず藤柄町あたりへ出て青物を直売することの規制を願い出て,従来の特権を守ろうとしている(水戸市史)天保14年当町からの出火で本5町目・本4町目・裡5町目・裡4町目を焼いた江戸中期当町に居住していた加藤賢安は好学の町年寄として有名(同前)家数は,寛文8年35,元禄3年33,宝永6年29,天保年間31(水戸の町名)昭和25年の世帯41・人口207(同前)昭和51年一部が本町2丁目・柳町2丁目,同55年残部が本町3丁目となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271089
最終更新日:2009-03-01




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