ケータイ辞書JLogosロゴ 青柳村(近世)


茨城県>那珂町

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国那珂郡のうち。はじめ佐竹氏領,のち慶長14年からは水戸藩領。村高は,寛永12年「水戸領郷高帳」1,367石余(ほか新田3石余),「元禄郷帳」1,894石余,「天保郷帳」1,993石余,「旧高簿」1,479石余。助郷は長岡宿に出役。「水府志料」によれば,常葉組に属し,戸数137,村の規模は東西9町余・南北16町余,那珂川に常葉村への船渡しがあり,地内を棚倉街道が通り,小場江筋の用水渠長さ90間がある。豪農菊池家は那珂川を溯上する鮭の漁獲独占権を有した。同家は早くから竹留網による鮭留【さけどめ】と称する漁法を用い,毎年「引鮭」として水戸藩老中に2尺(1尺は1尾),同若年寄などには1尺を贈っており,那珂川の鮭は珍重されたという(水戸市史)。天保4年の暴風雨で43軒がつぶれたという(同前)。寺社は,真言宗長福寺・鹿島明神・香取明神(新編常陸)。鹿島明神の幕末の神職小川義倫・義局父子は多くの著述を残した学者。明治4年茨城県,同11年那珂郡に所属。明治6年青柳小学校設立。明治22年柳河村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271096
最終更新日:2009-03-01




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