ケータイ辞書JLogosロゴ 青谷戸郷(中世)


茨城県>阿見町

 鎌倉期〜室町期に見える郷名。常陸国信太【しだ】荘のうち。元徳元年12月日の京進年貢注文に「常陸国信太庄土左前司殿跡京進年貢事,三郎殿分,上茂呂・竹来・青谷方,四貫六十文」と見え,かつては土佐前司が地頭として支配していた6か郷の1つで,元徳年間には,三郎殿が地頭として支配し,年貢4貫60文を割当てられた3か郷の1つであった。元徳2年6月16日の定勝が提出した京進用途未進分支配状に「上茂呂以下」と見え,前年の注文にある3か郷の公田は25町3反大で,年貢銭は反別16文の割で計算され,分銭は4貫58文とある。同年12月22日の京進年貢支配状には「上茂呂郷以下」と見え,年貢銭は5貫456文(東寺百合文書/土浦市史編集資料)。宝徳3年3月27日の広厳が鎌倉府の奉行力石殿に提出した休畊庵寺領注文に「常陸州信田庄青谷戸郷」とある(報国寺文書/結城市史)。享徳26年(文明9年)9月10日の報国寺領目録では「休畊庵領当乱来不知行……常陸国信太庄青谷」とあり,古河公方足利成氏と関東管領山内上杉顕定の対立が関東一円を巻き込んだ争乱となり,特に信太荘は山内上杉氏の支配下にあったため,当郷からの年貢送進が滞っていたと思われる(報国寺文書/神奈川県史)。文禄の太閤検地を機に信太郡に属す。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271100
最終更新日:2009-03-01




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