赤尾関村(近世)
茨城県
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内原町
江戸期〜明治22年の村名。常陸国茨城郡のうち。宍戸藩領。村高は,「元禄郷帳」265石余,「天保郷帳」「旧高簿」ともに270石余。元治甲子の乱には鯉淵勢として挙兵した農民もある。社寺は春日神社,真言宗満徳寺。明治元年満徳寺焼失。明治4年茨城県,同11年東茨城郡に所属。明治22年中妻村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271110
最終更新日:2009-03-01
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