ケータイ辞書JLogosロゴ 赤須村(中世)


茨城県>常陸太田市

 室町期〜戦国期に見える村名。常陸国佐都西郡のうち。宝徳2年2月16日の赤須兵庫助充佐竹義人証状写に「佐都西赤須村」と見え,当村にかかわる相伝文書が応永29年12月21日に国見要害にて紛失したために佐竹義人がこれを認定している(赤須通良文書/家蔵文書)。明応3年頃と推定される年月日未詳の当乱相違地注文写に「一,あかすのむら〈小野崎山城〉」「一,あかす弥六屋敷〈小野崎山城違乱〉」,近習知行分として,「一,赤須〈此地は筑前可致談合子細候〉小野崎かゝへ候」と見え(岡本元朝文書/家蔵文書),赤須氏の知行地であったが,佐竹の乱の過程で小野崎氏に押領されていた。赤須氏は小野崎通成の三子彦四郎通頼が当地に居住して,これを苗字とし,以後通俊―通兼と居住したという(新編常陸)。文禄3年の太閤検地を機に久慈郡に属す。文禄4年7月16日の御蔵入目録写に「御蔵入久慈之郡里川東」のうちとして「一,五拾弐石七斗 赤須」と見え(佐竹義秀文書/家蔵文書),豊臣氏蔵入地であった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271124
最終更新日:2009-03-01




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