ケータイ辞書JLogosロゴ 秋成新田(近世)


茨城県>水戸市

 江戸期〜明治22年の村名。常陸国茨城郡のうち。下入野村の低湿地を水戸藩が開発し,天保9年同村から分村して成立。村高は,嘉永5年216石余(水戸市史),「旧高簿」279石余。天保7年10月の人足帳に15人の名が見え(戸数に相当する),天保9年当村最初の人別帳では家数23・人数88,嘉永5年の家数24・人数167,馬16,安政5年家数24・人数189,馬24(水戸市史),明治初年の戸数41・人口276。当村は徳川斉昭の天保の改革における新田開発の最も成功した事業と称される。当村の開発は,大場村の大場太右衛門が支配人となって天保7年から着工された藩営工事である。工事には斉昭考案の揚水機雲霓【うんげい】機が使用された。また,開墾には近村の下大野村・島田村などの農民が人足として連日数百人が動員された。新しい耕地には越後・加賀の出身の農民が最初の苗を植えた。村内には畑地が少なく,山林は皆無であったので,のちに森戸村の御立山伐採後の土地を願出,畑地とした。天保10年7月と嘉永5年秋に藤田東湖が当地を訪れて七言長詩を作り開発の成功を祝った。鹿島神社は天保7年8月斉昭の命によって鎮斎。明治4年茨城県,同11年東茨城郡に所属。明治22年大場村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271148
最終更新日:2009-03-01




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