ケータイ辞書JLogosロゴ 悪戸新田(近世)


茨城県>古河市

 江戸期〜明治22年の村名。下総国葛飾郡のうち。古河城下の町並地。文政5年の舟渡町・悪戸新田絵図によれば,古河城の北東に位置し,町筋は佐野道の両側に沿って東西にのび,家数23(井上家文書/古河市史)。古河藩領。村高は,「元禄郷帳」156石余,「天保郷帳」158石余,「旧高簿」157石余,「旧高旧領」158石余。享保12年の町筋の長さ1町44間・幅4間,家数28(うち当御代増家20),うち畑屋敷12(井上家文書/古河市史)。「古河旧記」によれば町筋は1町49間・幅4間,地子免許4反余,役屋敷9(藤懸家文書/古河市史)。幕末期の「村鑑帳」によれば,岡郷に属し,諸無役で,高158石余(うち新田1石余),反別は田1町6反余・畑31町6反余,根取高米3石余,同永17貫余(潮田家文書/古河市史)。日光社参や大通行の時は古河宿の増助郷を勤めた。須釜河岸,天神宮・第六天がある。明治8年茨城県,同11年西葛飾郡に所属。明治22年古河町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7271163
最終更新日:2009-03-01




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